猶予期間(モラトリアム)のない子どもたち(5)

 そうなれば、子どもたちは、小さな頃から休む間も無く、おとなが突きつけてくる期待や価値観を読み取り、おとな社会にとって都合のいい部分だけを伸ばすことが強要されます。
 
 子どもらしくのんびりとしたり、疲れ果てるまで遊んだり、何もかも忘れて好きなことに没頭する時間も奪われて、テストの成績を伸ばすために努力することが強いられます。

 おとなが掲げた目標に向けて、日々、自分を律し、遊びや興味も横に置いてがんばれる「“小さなおとな”たれ」とする教育がまかり通るようになります。

「自己指導能力」とは?

家族 でも実は、それが文部科学省の望みのようです。「生活指導提要」(2010年)で、「『自己指導能力』の育成」として、子どもを「“小さなおとな”たれ」とする教育を推進していることを発見し、ぞっとしました。

「自己指導能力」とは何でしょうか? ネットで調べたところ、大まかに言えば「その時、その場で、どのような行動が適切か自分で判断し、決定して実行する能力。自分自身で自分をある一定の目標とする方向へ導いていくこと」ということなのだそうです。

一見よさそうですが

 一見するとよさそうに見える「自己指導能力」ですが、ひねくれ者なのか、私はいろいろひっかかってしまいました。

「『その時』や『その場』をつくっているのはだれなのか。『ある一定の目標』とはだれが、何のためにつくった目標なのか」
「それを読み取って、『自分で判断し、決定し、実行する』というのは、結局はおとな社会が是とする価値観を子どもの自己決定・自己責任において選ばせるというだけではないのか」
「おとな社会が望む方向に向かって、自分の感情や気持ちにふたをして自らを律することができるのが、『育てるべき子ども』と言いたいのか」

 ・・・などなど、いろんな考えがぐるぐるしてしまいます。

みじめで哀れな“小さなおとな”

 こんな「自己指導能力」を身につけた子どもたちは、人生や命というものについて、人間存在について、自分の生き方について、自分が価値とするものについて、考える余裕も持てないまま大きくなっていってしまうのではないでしょうか。

 自分はいったい何者で、何を幸せとして何を大切にしながら生きてゆくのか。社会をどうみて外の世界とどう対峙していくのか。自分が守るべきものは何で、自分はどういう人間であろうとするのかなど、アイデンティティを確立するために不可欠な時間を奪われたまま「あるべき人間」へと育てあげられていってしまうのではないでしょうか。

 そこにはおとなになるための猶予期間などありません。

 小さな頃から、おとなの価値を刷り込み、偽りの自己決定によって自己責任を負わされた、みじめで哀れな“小さなおとな”がいるだけです。