少年法の精神はどこに? ー『絶歌』をめぐる騒動から考えるー(2/3)

2018年1月26日

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こうした騒ぎの発端は、男性が今年6月に手記『絶歌』(太田出版)を発表したことです。
同書は、初版10万部を売り切って増刷となりましたが、被害者遺族は出版の中止・回収を求め、独自の判断で取り扱わないとする書店や図書館も相次ぎました。

識者らは「表現の自由」や「知る権利」などを理由に「出版はやむを得ない」とする立場と「被害者感情」を理由に「出版すべきでない」との意見を戦わせました。しかし、出版社側は「少年犯罪の理解に役立つ」と出版を継続し、バッシングの嵐が起きました

バッシングのきっかけとなったことのひとつが、世間はかつて未成年で殺人事件を起こした永山則夫死刑囚などが実名で執筆活動を行ったのに対し、男性が「元少年A」との匿名で執筆したことでした。

サムの息子法の必要性も

「人を殺しながら少年法に守られて罰を受けず、名前も明かさないまま出版によって大金を手にするのは許せない」ということなのでしょう。

犯罪者が手記を書いたり、映画化の権利を売ったりしてその犯罪行為をもとに収入を得た場合、「遺族など被害者側の申し立てにより、その収益を犯罪者から取り上げることができる」とするアメリカ・ニューヨーク州の法律である「サムの息子法」などの必要性も論じられました。

社会のバッシングはいかがなものか

もちろん、こうしたことを言いたくなる気持ちは分かります。「被害者の立場に立ったとき、こうした本を出版するのはどうなのか?」との疑問も沸きます。
手記の中身はともかく、その後、立ち上げた公式ホームページなどを見ると、まるで男性は自分の思考や特異な人生に酔っているかのような印象も受けます。

なぜ彼が、こうしたホームページを立ち上げたり、独特の表現をし続けようとするのか。それも本当はもっと知りたいところですがここではあえて取り上げず、話を少年法に戻したいと思います。

私たちの国は、未成年者に対して刑罰とは違う少年法というものを用意している国です。
被害者側のご遺族らが、出版に否定的な反応をするのは仕方がないとして、社会がこぞってバッシングするのはいかがなものなのでしょうか。(続く…