平和の国はどこにある?(4/8)

2018年1月26日

このシリーズの最初の記事へ

では、人類史上、一度も存在したことのない平和の文化を築くには、どうしたらいいのでしょうか。それよりなにより、暴力というものはいったいどこから生まれてくるのでしょうか。

それは、わたしたちひとりひとりの心の中です。私たちはだれもが心に「内なる暴力」ーー子どもの頃から身に受けてきた自覚できていない暴力ーーを抱えているのです。

不幸な子ども時代が悲劇を生む

たとえば世話をしてくれるはずの親が理不尽な理由で暴力をふるったり、「子どもだから」と屈辱的に扱われた子どもが力を得たときに、自分より弱い者に対して横暴な振る舞いをするという話はめずらしくありません。

そうした不幸な子ども時代が多くの人の命を巻き込む悲劇を生んだ例として以前、ヒトラーを紹介しました(「生い立ちと人格」)。
もっと身近な話なら、2001年に大阪教育大付属池田小学校に包丁を持って押し入り、子ども8人を死亡させ教師と子ども15人に重軽傷を負わせた宅間守死刑囚や、東京秋葉原の歩行者天国にトラックで突っ込んだ後、ナイフを振り回して7人を死亡させ、10人に重軽傷を負わせた加藤智宏被告などがいます。

また、ここまで大がかりな事件ではなくても、虐待を受けた子どもはそうでない子どもよりも長じて虐待者になりやすいという「虐待の連鎖」は、よく知られていますね。

真実から目をそらして

私たちはみな、「親に愛されたい」と願いつつ成長します。無力な子どもは、自分を愛し、世話してくれるおとななしには生きていけないからです。
だから親がたとえ理不尽なことを言ったりやったりしたとしても、それを「ありがたい」と受け止めたり、「自分が悪い子だからこんな目に遭うんだ」と、自分を納得させます。

また、「親は子どもを愛するもの」という社会通念もあります。だから、もし、暴力で支配されながら育ったとしても、それが「暴力である」と気づくことはとても難しくなります。いえ、それどころか「親が厳しくしつけてくれたおかげでこんな立派なおとなにれた」などと思っていたりします。
真実に気がつくことは、自分の身を危うくしますから、必死に真実から目をそらそうとするのです。

「内なる暴力」の正体

こうした方法は、確かに日々を生き延びるためには便利ですが、高い代償も伴います。
暴力に怯え、力に支配され、だれにも慰めてもらうこともないまま泣き続けている子ども時代の自分から目をそらしつづけることになるからです。

自分自身からも存在を消されたこの子どもは、自分自身にさえ理解してもらえない憤りと孤独の中で、ひっそり生き続けます。自分をそんなところに押し込めた恨みをどうにかしてはらそうと機会がうかがいながら・・・。

それが「内なる暴力」の正体です。(続く…