平和の国はどこにある?(3/8)

2018年1月26日

このシリーズの最初の記事へ

そもそも平和とはどんな状態を指すのでしょう。
戦争がなくて、テロがなくて、食べ物が十分にあれば平和と言えるのでしょうか。

もしそうだとしたら、世界の国々と比較すれば戦後の日本はほかに類のない平和な国ということになります。
間接的にアメリカ軍を応援したり、自衛隊の増強を図ってきたり、集団的自衛権を行使できるよう憲法解釈を変更するなど、「本当に戦争を放棄した国なの?」と思う動きは多々あしますが、少なくとも具体的な戦闘状態というのはありませんでした。

日本は「平和の文化があふれた国」?

では、日本はどうでしょう。

このブログの『福祉から遠い国』でもご紹介したように、日本でも生活保護が受けられず餓死する人がいます。
今月、厚生労働省の『国民生活基礎調査』から、平均的な所得の半分を下回る世帯で暮らす18歳未満の子どもの割合を示す「子どもの貧困率」が16.3%と過去最悪を更新したこともわかりました。

しかしそれでも、日本の飢餓のレベルは、難民キャンプで暮らしている人々や、慢性的な食糧不足にあえぐ国とは違います。
では、はたして、今の日本は「平和の文化があふれた国」と言えるのでしょうか?

平和の文化など存在しなかった

国際連合教育科学文化機関憲章(ユネスコ憲章)の前文
https://www.mext.go.jp/unesco/009/001.htm)には、「戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」と書かれています。

でも、人類の歴史を振り返ってみたところで、そうしたとりでを築くことに成功した国や文化が存在したでしょうか。

自由、正義、民主主義を掲げるアメリカという国が、けして「平和の国」でないということは、周知の事実です。

「縄文時代は争いが極端に少ない文化だった」とか「江戸の世は天下太平だった」という話も聞きますが、そうした時代においても、争いはありましたし、何より力を持った者が持たないものを力で支配するという事実は存在していました。

私たち人類は、今まで一度も、本当の意味で平和の文化を享受したことはなかったし、心の中に平和のとりでをつくることもできなかったのではないでしょうか。(続く…