BOSTON STRONG(1/7)

2018年1月31日

4月15日(現地時間)にアメリカで起きたボストンマラソンを狙った爆弾テロ事件から1週間後の朝、延期されていたレッドソックスの試合が再開されたというNHKのニュースを見ました。
番組では、事件でケガをした市民や捜査に当たった警察関係者らが紹介され、人びとが黙祷を捧げていました。

そんなニュースの中で気になったのは、レッドソックスの相手チームであるロイヤルズも「ボストンは強い」というメッセージを込めた「B STRONG」のマークを胸に付けて試合に臨み、顔に「BOSTON STRONG」などと書いた観衆が映っていたことです。「ボストン市民はこんなことに負けず、前を向いて強く乗り越えようとしている」といった主旨の説明も流れていました。

躁的防衛そのもの

まだ1週間しか経っていないのに、まだ十分に悲しむことさえもできていないだろうに、「前を向いて乗り越える」「自分たちは強いんだ!」・・・。

まさに、前回のブログで書いた躁的防衛そのものではありませんか!

ニュースの画面に映るボストン市民の様子から、ずっとアメリカ社会ーー少なくともアメリカのメインの社会は、こうやって悲哀を排除し、喪の心理や不安を心から追い出すことで心の安定を得、何も振り返らずに、ただ前へ前へと進むことを良しとしてきたのだということがリアルに伝わってきました。

これもまた前回ご紹介した本ですが、精神科医の小此木啓吾氏は『対象喪失 悲しむということ』(中公新書)の中で、こうした心性と全能感について興味深い意見を述べています。

「対象喪失は、どんなに人間があがいても、その対象を再生することができないという、人間の絶対的有限性への直面である。ところが現代社会は、人類のこの有限感覚をわれわれの心から排除してしまった」(196ページ)と言い、代わりにさまざまなテクノロジー等を進歩させることで全能感を満たしてきたというのです。

全能の願望による支配

そして、それに続く文章は、あらゆるものからの自由を標榜するアメリカの、そしてそんなアメリカを標榜する日本の現代社会を写し取ったかのような内容になっています。

「この動向は、自分にとって苦痛と不安を与える存在は、むしろ積極的に使いすてにし、別の新しい代わりを見つけ出す方が便利だし、実際にそうできるという全能感を人びとにひきおこしている。死んで葬り去れば縁がなくなるし、醜く年老いた者は実社会から排除すればよいし、うまくいかなくなった男女は別れて、それぞれ新しい相手を見つければよい。できることならば、学校や職場も気に入らなければ、自由に変えられる方がよい。住む所、暮らす国さえもそうできればそのほうがよい。少なくとも人びとの幻想の中では、こうした全能の願望がすべての対象とのかかわりを支配しようとしている」(196~197ページ)

でも皮肉なことに、こうした全能の願望による支配、それにともなう共感能力の欠如こそが、「究極の支配への抵抗」であるテロの温床になっているのではないでしょうか。(続く…