感情を失った時代(4/10)

2018年1月31日

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あの環境下にいたら、おそらく私も体罰を止めるのは難しかったのではないかと思います。

もし、私が教師だったとしたら、スポーツで学校の名を上げ、生徒の大学進学にも貢献し、校長からも一目置かれている顧問に「あなたのしていることはおかしい」と声を上げるのはかなりの勇気が必要でしょう。

一方、もし私が保護者だとしたらどうでしょう。
桜宮高校に子どもが入り、世間でも「強豪」で知られる部活を子どもが続けるからには、保護者としても一定の覚悟をしているはずです。その心の底には、「子どもに部活動で活躍して欲しい」という思いもあるでしょう。

「うまく行けば大学の推薦がもらえるかもしれない」「将来的にスポーツの世界で食べて行けるようになるかもしれない」などと、きっと考えたことでしょう。

『週刊文春』の記事

『週刊文春』(2月7日号)には、「自殺した生徒の母親が子どものスポーツ教育に熱心だったことや、大学の推薦が取れると考えていた」といった趣旨の記事が載っています(週刊文春の桜宮高校バスケ部体罰問題に関する記事がひどすぎる)。

『週刊文春』は、子どもの権利条約に基づく第1回目の日本政府報告書審査時に、国連でプレゼンテーションをした子どもたちの発言や国連委員の反応を、悪意を持ってねつ造した雑誌です。

後日、事実を知る私たちが抗議をしたときも「担当者不在」などと言い続け、まったく責任を取ろうとはしませんでした(ご興味のある方は、ウィキペディアの週刊文春の項目内「問題のあった記事・注目を浴びた記事」の1998年の部分をご参照ください(ウィキペディアの週刊文春)。

こうした私の経験から言っても、文春の記事をすべて真実と受け止めるのはいささか危険だと思いますが、自殺した生徒の母親がスポーツ教育に人一倍熱心だったとしても、なんら不思議なことだとは言えないのではないでしょうか。

もし私が高校生だったら

そしてもし、私がスポーツで強くなることを何よりも大事だと考える環境で生きている高校生だったとしたら・・・。自ら「もう嫌です。部活を辞めます」と言えたでしょうか。
きっと無理だったと思います。

社会経験も少なく、自らの価値観も形成途中で、周囲のおとなに頼らなければ生きられない子どもにとって、学校や周囲のおとなは全世界と呼んでも過言ではありません。
それ以外の価値など、よっぽどのことがなければ持ちようがありませんし、その世界から外れること、その世界に受け入れてもらえないことは、この世の終わり・・・つまり死を意味します。

だからこそ、学校から排除されるいじめや、おとな不信に陥る虐待が、あれほどにまで子どもに大きなダメージをもたらすのです。(続く…