福祉から遠い国(8/8)

2018年1月31日

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もちろん、「もらえるものはもらっておかなければ損」と、生活保護にあぐらをかいている人がいるのも分かっています。

「親と縁を切りたい」「配偶者に心を入れ替えて欲しい」などと訴えてくるクライアントさんの周辺に、そういった考えの持ち主がいることも、ままあります。
中には、ほんとうは働けるのに生活保護をもらったうえ、子どもや配偶者などからお金を吸い上げて遊び暮らしている人もいます。

こうした行為自体は、決して許されることではありませんし、きちんと是正されてしかるべきです。

人はみな「よりよく生きたい」と願うもの

でも、そこで考えずにいられないのです。
彼・彼女らが、「なぜ働く(必ずしも「お金を稼ぐ」行為だけを指しているわけではありません)意欲や、自分のエネルギーを他者に分け与えるという喜びを持てない人になってしまったのか」と・・・。

以前、このブログ(『希望の革命参照』)で紹介した心理学者であるE.フロムがいくつもの著書で述べているように、人間はみな「よりよく生きる」ことを願うものです。
だれかの役に立ち、だれかに感謝され、社会の一員として誇りを持って生きていきたいと思わずにはいられない存在です。人間というのは、尊厳を持ち、自分の力を他者や他人のために使い、自己実現に向かって生きていくことを望む生き物なのです。

それなのに、なぜそれができない人がいるのでしょうか。

生活保護という代償

自己実現の研究で知られる心理学者マズローは言いました。「人が何かを達成し、成長したいという欲求(自己実現欲求)を持つためには、まず生命や身体が保障されることが必要で、さらには愛情や承認の欲求が満たされなければならない」と。

彼らの研究を踏まえれば、生命身体の維持という基本的な欲求さえ危ぶまれる社会で、安全感を持てず、承認欲求も満たされないままおとなになった人の悲しみや恨みが横たわっているような気がしてなりません。

親に愛してもらえず、社会に受け入れてもらった感覚も持てなかった人が、その代償を生活保護というかたちでもらわずにはいられない・・・そんな気がしてならないのです。

たとえお金が無くとも餓死などしないですむ社会。だれもが「自分は価値があるんだ」と安心して生き、自己実現に向かって生きていける社会にならない限り、生活保護を必要とする人は増え続けるのではないでしょうか。