家族って?(5/6)

2018年2月5日

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人はだれの助けも借りず、支えもないままに、たった一人で生きていけるほど強い生き物ではありません。

確かに今の日本において、過酷な競争や生き残りレースにさらされずに生きることは困難です。でも、だからこそよけいに、だれもがホッと出来る場所、弱さを見せても安全な相手、自分をきちんと抱えてくれるだれかを必要としているのではないでしょうか。

エネルギーの“もと”を生み出すのが“家族”

「ネットから卒業すれば幸せになれるという人が居ます
私の唯一の居場所を捨てれば幸せになれるのでしょうか
すなわち、死ね、ということなのでしょう」

そう記したのは、昨年6月に起きた秋葉原事件(7人が死亡、10人が重軽傷)の容疑者でした。
彼もまた、安全な場所を手に入れることなくおとなになった孤独な人間でした。

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そんな彼のネットの書き込みからは、仮想の関係性の中で、どうにか日々をつないできた切ない人生が見えてきました。
そこには、人が人らしく、日々を送り、希望を捨てずに生きていくためには「リアルな人とのつながりから生まれるエネルギーが必要」という切実なメッセージがあふれていたのです(「絶望と自殺」参照)。

私は、こうしたエネルギーの“もと”を生みだし、日々、エネルギーを交換し合い、安心感や安全感を保障してくれる関係性を提供する居場所となるものが“家族”だと思います。
逆に言えば、たとえ肉親であっても、夫婦であっても、そうした関係性がなければもう、それは“家族”とは呼べないのではないかと思うのです。

『わたしたち里親家族』の出版にかかわって

090220.jpg まったく別のかたちで、そのことを深く感じたことがあります。

昨年、『わたしたち里親家族!―あなたに会えてよかった』(明石書店)という本の出版に携わり、里親家庭を尋ね、インタビューをさせていただいたときのことです。

私がお会いした里親さんたちは、養子縁組を目的とした里親ではなく、家庭で暮らすことが出来ない子どもたちを一定期間養育する養育里親の方々でした。

戦争孤児が多かった時代と違い、現在、里親制度(家庭的養護)や施設養護を利用している子どもの多くは、ちゃんと親がいます。

養育家庭里親の方々の役割は、それにもかかわらず親と暮らせない子どもたちを「預かって育てる」こと。

「預かる」わけですから、たとえどんなに日々を共にしても、どんなに愛情をかけても、子どもがどれほど慕っていても、養育家庭の里親は親権者よりも一歩引いた場所にいなければなりません。

“家族”を構築するための作業

しかも、子どもたちの多くは、けして「育てやすい子」ではありません。嘘をつく子、生活習慣が身についていない子、驚くほどに反抗的な子、赤ちゃん返りする子・・・。
その子の、それまでの体験やおとなとのかかわり、きちんとケアしてもらえなかったことから生じたさまざまな問題を「これでもか」というくらい次々と噴出させます。

もちろんそれは「安心できる里親さんとの関係があればこそ」のことですが、そう頭で考えて割り切れるほど、生やさしいことではありません。

里親さんたちは、悩んだり、壁にぶつかったり、ときに「もう里親なんかやめたい」と思ったり・・・。でも「やっぱりこの子がかわいい」という思いに後押しされて、少しずつ子どもと信頼関係を築き、情緒的な絆を深めていました。
その様子は、まさに“家族”を構築するための作業そのもののように私には見えました。

血が繋がっていないからこそ、子どもを自分の一部のように思い込むことなく、子どもをひとりの人間として尊重しつつ、エネルギーの“もと”となる関係性を保障しながら、その成長を支えようとする姿勢が見て取れたのです。(続く…