少年事件と虐待(3/6)

2018年2月5日

このシリーズの最初の記事へ

image_080812.jpg 私がよく知っている大学生にこんな女の子(A子さん)がいます。

A子さんは、大企業に勤める父と教師の母、妹の四人で暮らしていました。母は教育熱心、ボランティア活動などにも精を出す人で、親戚には大学教授など社会的に高い地位にいる人物も多い家系。端から見ると理想の家族で、おそらくA子さんの両親もそう思っていたことでしょう。

ところが15歳のとき、A子さんは「ここにいたら死んでしまう」と、家を出て知人宅へ転がり込みました。
そのときの心境を次のように語っています。

「暴力を振るわれたり、ご飯をもらえないなんてことはなかったけど、ずっと『自分は受け入れられていない』と感じながら生きてきていました。親から温もりとか安心感を受け取ったことがないんです。家にいてもいつも自分をつくって、親に気に入られるよう振る舞っていました。話をするときも親が一方的に、自分の言いたいことを話すだけ。私の言い分を聞こうともしませんでした」

===
母に愛されたくて・・・

エリートサラリーマンの父はほとんど家におらず、「評価をもらう対象ではなかった」(A子さん)と言います。
A子さんと妹は、いつもそばにいる母から愛されたくて、愛情を奪い合いました。

その母は、A子さんの振る舞いが気にいらないと不機嫌になったそうです。A子さんが自分の思いを口に出したり、母が望むほどテストの点が取れなかったり、お風呂に入る時間が遅かったりなど、ささいなことが原因でした。

たとえ不機嫌になった理由を口にはしなくても、ドアを強く閉めたり、食器を乱暴に置いたり、自分を無視したりする母の様子から、A子さんは母の本音を読み取ったといいます。

「いつも母に何を求められているのか考えて、先に先に行動していた。母が『するべき』と考えているだろうことを全部やり終え、妹と一緒に廊下からこわごわ母の様子をうかがっていたときのことを今も思い出します。母が口を聞いてくれなくなるのが一番恐かったんです」(A子さん)

ひどいぜんそくとアトピーを発症した妹が“世話を必要とする子”になって母の注目を集めると、A子さんは“親の役に立ついい子”になることで対抗しました。自ら進んで塾に行き、私立中学受験に臨み、家事の手伝いもしたのです。

何かが壊れ始めた

そんなA子さんの中で、何かが壊れ始めたのは中学に入学した頃。
「嫌われたくない」「認められたい」との思いが頭を離れなくなり、自分でさえ自分が何を感じ・考えているのか分からなくなりはじめました。そうして、対人関係に行き詰まり、学校に行けなくなってしまったのです。

拒食症になったのもその頃からです。きっかけは、妹の療養食に付き合う“よい姉”を演じたこと。食事量を極端に減らし、大雨も日も、マラソンと水泳を欠かしませんでした。五二キログラムあった体重は、みるみる三〇キログラム台まで落ちていったと言います。

母は、病院に相談し、病院のアドバイスに従って「子どもを抱きしめる」という不安解消法を試みたりもしました。祖母がわざわざA子さん宅を訪れ、戦時中の飢餓体験を語り、食べることの大切さを教えたりもしました。

「私が心配というより『親としてどうすべきか』が分からなくて困っていたんだと思う。『正しい親をやってきたはずなのになぜこんなことになったのか』と思っていたのでは?でも、マニュアル通りに抱きしめられても安心なんかできない」(A子さん)

そうして家を飛び出し、A子さんは奇跡的にも自分を支えてくれる人たちと出会うことができました。その人たちの援助で、大学にも入り、独り暮らしも始めました。

ところがA子さんの両親は「自分たちの老後が心配。(高額な)老人ホームに入居する資金が必要だから」と、A子さんへの生活費をカットすることを伝えてきました。
今も両親は「何不自由ない生活をさせてやったのにどこが不満だったのか」と憤っているそうです。(続く…