少年事件と虐待(1/6)

2018年2月5日

前回の「絶望と自殺」では、「孤独と絶望の中で生きている子どもたちの痛みに向き合える社会に変わっていかない限り、第二、第三の秋葉原事件が起こる」と記しました。

まるでそれを裏付けるように、ここのところ10代半ばの子どもたちによる事件が相次いでいます。

7月16日には山口県の中学二年生が「親に恥をかかせたい」との理由で起こしたバスジャック事件があり、19日には埼玉県に住む中学三年生が父親を刺して死亡させる事件がありました。また29日には、中学校教師が卒業生に刺されて重傷を負うという事件も起きました。

===
埼玉の父親殺害事件

少年事件が起きるたびに、世間は驚き、「とても理解できない」という反応をします。
とくに、今回、埼玉県で起きた父親殺害事件のように、際だったトラブルが見受けられず、容疑者である子どもにいわゆる非行と呼ばれる逸脱行動などがなかった場合は、戸惑うようです。

この事件の家族は、犯行当日に容疑者(長女)が被害者である父親と弟と共に外出し、その後、夕食のカレーを一緒につくり、家族で食卓を囲んだなどのエピソードが紹介され、いかにも「仲の良い家族」のように見えます。
事件後、長女の母親でさえも「大きなけんかもなく普通の父娘で、動機に思い当たることはない」、「いまだに信じられない」などとコメントしています。

現在のところ、殺人に至った動機としては「両親に『勉強しろ』と言われたことへの反感」ということに落ち着きそうな雰囲気ですが、実際には、長女自身がうまく語り切れていない原因がいろいろあるのではないかと思います。

個人的には、長女の「父とは会話が少なかった」、「お父さんが家族を殺す夢を見た」「犯行直前に目が覚めて刺そうと思い付いた」などの供述。そして追試験を欠席した理由や一家の部屋割りなどが気になります。
でも、今、表に出ているだけの少ない情報に頼った推測は避けたいと思います。

理解不能の事件?

動機の解明はさておき、不思議なのはこうした事件が起こるたびに「何が何やらさっぱり分からない」というスタンスを取るおとなが大勢いることです。

不明な点はあるにせよ、少なくとも「殺さねばならない」ところまで追い詰められた子どもがいたという事実があるのです。
「人を殺す(殺そうとする)」のですから、それは大変なことです。しかも多くが、親や教師など本来、最も愛すべき人間との関係で事件を起こしているのですから、よほどの事情があったと考えてしかるべきです。

それにもかかわらず、「とくに原因と思われることもない」などとコメントする識者やニュースキャスターが本当にたくさんいます。

レッテルを貼って一件落着

“理解不能”とされた子どもに対応するのは、司法や医療です。精神鑑定が行われ、昨今だとアスペルガー障害などの名前が付けられて、一件落着することが大半です。

こうした診断名が付くことで多くのおとなはホッとします。
「ああ、やっぱり病気(障害)があったんだ」
そう思うことができれば、容疑者に“正常ではない”というレッテルを貼ることが容易になります。そうなれば“あっち側(自分とは違う世界)の人”として切り捨ててしまえます。自分の親との関係や自分の子育てが脅かされる心配もありません。(続く…