現実から解離した教育再生会議(5/8)

2018年2月5日

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「ゆとり教育」の実態を見てみると、その中身は子ども自身が持って生まれた能力を伸ばすことができる本当の「ゆとり教育」にはなっていません。

2005年当時に取材した教育行政学の専門家は、「ゆとり教育」をこんなふうに分析していました。

「日本の『ゆとり教育』とは、公教育費削減を実現するため『少数に厚く、残りの人には最小限にする教育』のこと。でも、そんなふうに言えば国民は賛成しないから、『ゆとり教育』という名前を付けただけ。少数の人だけを優遇する教育制度にしたのだから、全体的な学力が低下するのは当然」

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そう、「ゆとり教育」は、けして子どもひとりひとりの能力を伸ばすために行われたものではなかったのです。

さまざまな「改革」「改正」が進み、全国一斉学力テストも実施され、親と子どもの自己責任路線がいよいよ明確になった昨今。国の教育への介入は強まりながら、国が負担する教育費や責任は減っていく一方の教育現場を見ると、「ゆとり教育」の裏に何があったのか少しずつ見えてくる気がします。

実態をごまかす教育再生会議

そんな「ゆとり教育」の実態をごまかしながら、「『ゆとり教育』を見直す」と声高に叫ぶ教育再生会議。
その提言は、・授業時間数の10%増、・教科書の分量を増やし質を高める、・教師の事務仕事を簡素化し、教育現場のIT化を進めるなど、あまりにもお粗末です。
そんなことで子どもたち全体の学力が伸びるのかどうかは、このブログで前回のテーマにしていた愛知県犬山市の教育改革を見れば一目瞭然です。

子どもや教師の実態を見ずに、勝手に授業時間を減らし、内容を削減し、教師を管理することで教師と子どもが向き合えるような「ゆとり」を奪ってきた事実を反省するという姿勢はどこにも見あたりません。(続く…