奈良放火事件から考える(2/3)

2018年2月5日

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中1の頃は母親に反抗したこともあったけれど、中3になってからの母子関係は悪くなかったとの報道も気になります。
思春期の反抗は、おとなになるために必要なものです。そうやって親や社会の価値を壊し、自分らしさを確立していきます。おとな側からみれば許し難い反乱である反抗も、子どもにとっては成長のステップです。

何を言っても聞こうとしない両親、怒っても、暴れても、自分の気持ちに気づこうとせず、力で押さえ込もうとする両親に反抗することさえ「諦め」たとき、長男の心にはどんな思いが渦巻いていたのでしょうか。

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けれども、両親だけを責めてもことは解決しません。なぜ父親は、ここまで長男を追い込んでしまったのでしょう。どうして忙しい医師という仕事をしながら、真夜中まで付きっきりで勉強させ、成績が下がれば殴る必要があったのでしょう。継母が最近ふさぎ込んでいた長男の辛さに気づいてあげられなかったのはなぜなのでしょうか。

多くの親がそうであるように、おそらくこの父親も長男が生まれたときは喜でいっばいになったことでしょう。生まれたての子どもが持つ、あふれるばかりの生命力と可能性に心を躍らせ、出来る限りの愛情を注いで“立派な人間”に育てたいと思ったのではないでしょうか。

世間様から後ろ指をさされることのない“立派な人間”。・・・頭が良く、肉体的にも優れ、規範意識を身につけた人間。そんな人間になって欲しいと父親は望み、継母もまたそう思っていたのではないでしょうか。

進学校に通い、サッカーが上手で、小学校時代の作文で「戦争とは、永久にしてはいけないもの」「病気や飢えで苦しむ世界の人たちを助けるために医者になりたい」と書いた長男は、そんな両親の望むとおりの人間になろうと賢明に頑張ってきたに違いありません。

もしかしたら、日本社会の価値観をすっかり取り込んでいた両親は「愛情とは、みんなに一目おかれ、社会のルールに従うことができ、社会に役立つ人間に育ててあげること」と思っていたのかもしれません。教育基本法「改正」論者たちが言うように・・・。(続く…